メガドライブ ミニ2 発売待つのも楽しいですね♪
なんといっても、ソフトが山盛り(感動)
当時メガドライブが発売されたときのソフトの少なさは・・・絶望
さてアニメ「異世界おじさん」での、おじさん(CV:子安)SEGA愛が溢れすぎ最高です。
子安さんのSEGA愛語りが、聞けるとは。
JOJOのディオがSEGA好き好きに聞こえて素晴らしい。
第2話、ソフトランキングの話で魂の叫びが出ました。
『1位「ガーディアンヒーローズ」だろぉおおお!』
100位にも入ってませんが、おじさん的には、そんな馬鹿なっ!ですね。
『異世界おじさん』アニメ公式サイト
https://isekaiojisan.com/
では実際のメガドライブ誕生にまつわる話です。
1988年に作られたメガドライブは、
当時の家庭用ハードとしてはかなり先進的なものでした。
16ビットCPU(68000)+サブCPUでの8ビットCPU(Z80)
ゲーム雑誌での速報を見たとき
すごいゲーム機が発売されると感動したな~
なぜそうなったのか。
『元社長が語る!セガ家庭用ゲーム機 開発秘史』 著:佐藤秀樹
8ビットではサガはSG-1000を出し、
同時期に任天堂はファミコンを出した。
そこからセガは1年毎にSG-1000Ⅱ、SAGA MARKⅢ、海外向けにMASTER SYSYTEM
と出していったけれど、全然任天堂に勝てなかった。
(中略)
8ビットで任天堂と丁々発止やっても、もう勝てない。
アメリカでも駄目。
だから16ビットにしようということになった。
SG-1000Ⅱを出したけれどため、MARKⅢを出しても駄目。
「駄目なら、もうその上やっちゃえよ」といって16ビット。
そんな安易な理由だったのだ。
ーー文中よりーー
えっ、そんな流れだったんですか。
日本でのマスターシステムは中途半端だっもんね。
FM音源載ったのは嬉しいが、それだけ??みたいな。
そして海の向こうでは、なんとセガはメガドライブで任天堂を超える時もあったんですよ!
1990年代に日本でセガを見ていたときは、
アメリカでのゲーム機販売など全然意識してなかったが、
あの時代に海外で激しい戦いが進んでいたとは。
『セガVS.任天堂 ゲームの未来を変えた覇権戦争(上)』
著:ブレイク・J・ハリス
この本はアメリカで行われた覇権戦争、広告、人材獲得、ソフト開発の話はおもしろい。
大体ゲーム機の話は日本国内情勢で完結してしまうが、
アメリカでの戦いが事細かく記されておもしろい。
当に世界のセガっっ!!!
翻訳のせいもあるが全体通して文章読みにくいのが難、
しかし最中の状況を知るには良い本だ。
セガは、あまり高品質とは言えない一連のゲーム機
(低コストの在庫部品で組み立てられた「SG-1000」という
無味無乾燥な名称なゲーム機もその一つだった)を売り出した後、
この巨大市場への本格参入を果たすために「セガ・マスターシステム」をリリースした。
アメリカ市場で驚異的なヒット商品となった任天堂の「ニンテンドーエンターティメントシステム」に対抗するために、同じ8ビット機で勝負を挑んだのだ。
だが、セガは期待したような勝利は得られなかった。
マスターシステムは、1985年に日本で発売された「セガ・マークⅢ」の北米市場版として1986年にリリースされたが、セガが任天堂の牙城にかすり傷一つつけられないことは二年足らずで明白になった。
中山は8ビット機市場で勝ち目がないなら戦場を変えるしかないと決心し、次回は少なくとも一番乗りの利点を確保したいと考えた。
そこで、マスターシステムをあっさりと切り捨てると、次世代ゲーム機に全精力を集中したのだ。NESの倍の性能を持つ16ビット機である。
ーー文中よりーー
ハードより、面白いソフトだろっっと、
突っ込み入れたい人が今なら多数でしょう。
当時は16Bit すげー期待だ、
ゲームセンターで稼働している
SEGAの人気アーケードゲーム機で使用している68000CPUが家庭用ゲーム機に載るなら、当然同じレベルのゲームで遊べると期待MAXだったよ・・・
メガドライブ発売時にソフトが激少なくても、本当はできる子なんですと(泣)
メガドライブミニ2 待ってるから♪